旧上屋久町の歴史

昭和33年(1958年)に上屋久村から上屋久町となりました。平成19年10月1日に、旧屋久町と合併をはたし、「屋久島町」としての新しい歴史が始まっています。旧上屋久町の歴史をご紹介します。

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    昭和36年頃の一湊漁港
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    昭和43年宮之浦大橋着工
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    発見された当時の縄文杉

上屋久町

昭和33年(1958年)

上屋久村が町制を施行、上屋久町となる

昭和34年(1959年)

屋久島電気興業(株)が社名を屋久島電工(株)に変更

昭和35年(1960年)

屋久島電工(株)が水力による電気事業を開始
屋久島電工(株)が同灰化珪素(ダイヤシック)第一工場竣工

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昭和35年頃の屋久島電工工場内

昭和36年(1961年)

屋久島航路に折田汽船(株) 第20折田丸就航
種子島−屋久島航路に鹿児島商船(株)屋久島丸就航

昭和37年(1962年)

屋久島地区、低開発地域工業開発地区に指定される

昭和39年(1964年)

霧島・屋久国立公園に指定される
町営永田診療所開設

昭和40年(1965年)

国民宿舎「やくしま荘」営業開始
町営口永良部診療所開設

昭和41年(1966年)

役場新庁舎が完成 宮之浦1593番地へ移転
口永良部島新岳噴火
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昭和43年(1968年)

町制施行10周年・明治百年記念事業の一環として、町章・町木(やくすぎ)・町花(やくしましゃくなげ)を制定
屋久島電信電話局が完成 ダイヤル即時通話開始
宮之浦大橋完成

昭和44年(1969年)

屋久杉保護問題が盛んになり、林野庁から調査団派遣される

昭和45年(1970年)

小杉谷小学校・中学校閉校
小杉谷小杉谷の当時の様子
町営ゴミ焼却炉完成
町営グラウンド完成

昭和46年(1971年)

屋久島航路に折田汽船(株)フェリー屋久島就航
九州高校総合体育大会山岳競技会開催
やくしか狩猟禁止

昭和47年(1972年)

第27回国民体育大会山岳競技会開催
image7山岳競技会の様子
口永良部島新岳噴火
種子島・屋久島航路に鹿児島商船(株)フェリー第2屋久島丸就航
皇太子殿下・同妃殿下ご来島
町営船「太陽丸」(52トン)口永良部〜宮之浦間に就航

昭和48年(1973年)

学校統合により、志戸子・吉田小学校を一湊小学校に、楠川小学校を宮浦小学校に統合
白谷雲水峡が自然休養林となる
白谷雲水峡2白谷雲水峡

昭和50年(1975年)

屋久島離島開発総合センター完成

昭和51年(1976年)

台風17号により口永良部島に災害救助法適用
永迫文庫寄贈される
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昭和52年(1977年)

上屋久・屋久森林組合合併、「屋久島森林組合」として発足

昭和53年(1978年)

口永良部島廃棄場(ゴミ・し尿)処理施設完成

昭和54年(1979年)

永田土面川災害

昭和56年(1981年)

屋久島エレジーの碑建立
ウィルソン博士顕彰之碑建立
口永良部火力発電所完成
ウイルソン株ウィルソン株

昭和57年(1982年)

「屋久島勤労者体育センター」完成
「町民歴史民俗資料館」完成

昭和58年(1983年)

朝日新聞社、森林文化協会主催の「自然100選」に屋久島が選ばれる

昭和60年(1985年)

宮之浦流水「全国名水100選」に認定

昭和63年(1988年)

国民宿舎「やくしま荘」閉館

平成元年(1989年)

種子・屋久航路に鹿児島商船(株)ジェットフォイル「トッピー」就航
読売新聞社主催の「新・日本の銘木百選」に縄文杉が選ばれる
縄文杉1001縄文杉

平成2年(1990年)

(有)老舗恵命堂屋久島工場、新製薬工場(細粒工場)完成

平成5年(1993年)

財団法人「屋久島環境文化財団」設立
折田汽船(株)の新造船「フェリー屋久島2」が就航

平成6年(1994年)

上屋久町地域福祉センター「縄文の苑」完成
第1回「超自然・屋久島ツーデーマーチ」開催

平成7年(1995年)

「屋久の森シンポジウム」開催 
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平成8年(1996年)

「屋久島環境文化村センター」オープン
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平成9年(1997年)

第一期かめんこ留学生が入学(永田)
町営船「フェリー太陽」(408t)就航 
フェリー太陽001

平成10年(1998年)

にじいろ通信かみやく(オフトーク通信)開局
日本ウミガメ会議開催

平成12年(2000年)

皇太子同妃両殿下が世界自然遺産会議へご臨席
「世界自然遺産会議」開催