旧屋久町の名誉町民

旧屋久町の名誉町民

第1号 昭和49年10月9日  日高  純夫 氏

昭和5年、40歳で村議に当選。以後通算37年間にわたり村議・町議として活躍しました。屋久島電源開発の基礎となった測量や水位観測、安房港改修工事の積極的な陳情活動などを果たし、町政発展への功績は大なるものがあります。

 

第2号 昭和49年10月9日  佐々木  一雄 氏

郷土が生んだ県政の功労者です。熊毛地区選出鹿児島県議会議員として昭和26年に当選して以来在職16年間、広く県民の福祉の向上と県政発展のために貢献しました。西部林道の新設、漁港の整備などに尽力され、町の交通、産業、教育など幅広い分野の功績を残しました。

 

第3号 平成6年3月25日  岩川  眞琴 氏

昭和32年11月、下屋久村長に初当選、昭和34年4月1日には町制施行に伴い町長に就任しました。以後連続4期16年間、村および町政の責任者として農林水産業の振興、道路、交通、港湾等産業基盤の整備をはじめ観光開発、教育行政等、町政発展に尽力しました。

 

第4号 平成6年3月25日  黒葛原  兼成 氏

明治38年4月、平内地区内に移住し、百町歩余りの原野の払い下げを受けて開墾事業に着手しました。大正13年、台湾からぽんかんの苗木を移入し、ぽんかん栽培の技術達成に力を注ぎました。そして多くの人を奨励し、屋久島ぽんかんの名声を高め、農家の所得向上に貢献しました。昭和11年から15年まで下屋久村長として村政発展にも尽力しました。

 

第5号 平成11年3月29日  市橋  敬ニ 氏

昭和11年に初代麦生園芸組合長、昭和25年には神山校区づくり委員長に就任し、ぽんかんの一反歩植栽やたんかん100本の植栽運動を推進しました。昭和44年から昭和52年にかけては県内初の農村青少年経営指導拠点農場主として、農業後継者の育成に尽力。また、ぽんかん・たんかんを本町の基幹作物として定着させるため、経営規模の拡大や生産技術の向上に努め、農家所得の向上を図るなど、本町の農業振興に大きく貢献しました。

 

第6号 平成11年3月29日  川東  榮藏 氏

昭和10年3月より34年間、教職員として初等教育の研究研鑽に努めるとともに、本町の教育行政の推進に尽力しました。幼児教育の重要性が叫ばれる中、昭和45年4月には自ら多額の私財を投入し、私立すみれ幼稚園を設立。昭和57年4月にはすみれ幼稚園を法人化し、施設整備などの充実を図りました。さらに社会福祉法人明星会安房保育園を設立、本町における幼児教育の普及促進に大きく貢献しました。

 

第7号 平成13年9月28日  岩崎  與八郎 氏

離島である屋久島の発展を図るため、海上および陸上交通の改善に心血を注ぎ、昭和35年に鹿児島商船株式会社社長に就任するや直ちに、当時としては、新鋭船「屋久島丸(1500トン)」を投入し、島民の悲願であった日発航路を実現させた。また、昭和47年には大型の「第二屋久島丸(2200トン)」を就航させ、さらに平成元年よりはジェットフォイルを順次投入するなど、海上交通における島民の利便性の向上に尽力しました。また、屋久島を「霧島国立公園」に編入する運動を率先して進めるなど、豊かな自然環境の保全に情熱を傾けられた。

 

 

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