旧上屋久町の名誉町民

旧上屋久町の名誉町民

第1号 昭和39年4月1日  岩川  与助 氏

鹿児島商船、大日本炭鉱の各社長、東信電気、昭和肥料の各専務、屋久島電工の取締役などとして活躍しました。また、昭和3年から5年までと、昭和24年から30年までの4期にわたり衆議院議員として活躍しました。

 

第2号 昭和39年3月1日  安藤  豊祿 氏

小野田セメント社長等を歴任し、屋久島電工株式会社屋久島工場の建設に貢献しました。屋久島工場の設立により、地域住民の生活の安定と町の行財政の飛躍発展に貢献しました。

 

第3号 昭和46年3月20日  柴  昌範 氏

恵命堂社長などして活躍し、その間、ガジュツの普及奨励に努力され、「我神散」の製造販売の一貫事業を推進し、「我神散」の名を全国に広めました。また、多額の浄財を投じ、地域開発に積極的に協力し、町の産業発展、社会福祉に尽力されました。

 

第4号 平成10年10月24日  山口  一彦 氏

戦後郷土の復興を志し、青年団再建に奔走されました。さらには町議会議員・町長として28年間の長きにわたり、本町地方自治振興のために情熱を注ぎ、上屋久町の礎を築き上げました。特に産業・生活・教育環境の基盤整備に邁進し、町民の福祉の向上に崇高な理念と先見性に富んだ政治手腕と指導性をもって町政に当たり財政再建団体からの脱却と全国優良町村として表彰を受けるなど、町の発展に大きく貢献しました。

 

第5号 平成10年10月24日  馬場  好作 氏

長年にわたり住み良い郷土の建設と県民・町民の福祉と地域医療の向上に貢献するという崇高な理念のもとに、医師として島民の生命健康を守るために奔走し今日の離島医療・救急医療対策組合の設立・礎を築きました。さらには県議会議員・町長として常に初志を貫く強固な意志と至誠一貫事に当たる責任感の強さから民生の安定と福祉の向上に尽くされました。

 

第6号 平成13年10月31日  岩崎  與八郎 氏

長年にわたり屋久島の航路問題の改善と島内交通運輸の発達に心血を注ぎ、町民生活の利便性を向上させるとともに、独創的且つ先見性に満ちた観光開発事業を展開し、地場産業を支援・育成するなど本町経済の発展に寄与されました。さらに巨額の私財を投じて育英奨学のための基金を創設し、上屋久町の未来を担う人材の育成に尽力されました。

 

 

 

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